「マネジメント」より「ひとを信じる」経営、「社長の仕事は社員を信じ切ること、それだけ。」
・宮田運輸を変えた、「ひとを信じる」経営法
宮田運輸、という物流会社をご存じでしょうか。大阪・高槻市に本社を置き、NHKの「おはよう日本」など、メディアにも取り上げられたことのある企業です。
宮田運輸の社長・宮田博文氏は、会社が起こしたトラックの交通事故をきっかけに、これまでの経営方法を一変させることになります。
社長就任の直後に起きた交通事故は、部下の運転するトラックにぶつかった相手方の男性が亡くなり、宮田社長は駆けつけた病院で遺族の方から声を掛けられます。
宮田社長は、遺族の方からの言葉を受け、この事故の責任は自らにあると、本書のなかで述べています。
宮田運輸の4代目となる宮田博文社長は、子どもの頃からトラック好きの少年で、少年時代にはトラックの運転士になることに憧れて育ちました。
しかし、こうした交通事故を起こし、人命を奪ってしまうようなら、世界中からトラックがなくなった方がいいのではないか、と思い悩むことになります。
事故が起きてから一年間、その事故で亡くなった男性と遺族のことが頭から離れず、宮田社長は運輸会社を続けることの意味を見失うようになります。
仕事が終わってからは、「宮田運輸があり続けること」「自分が経営し、働いていくこと」の意味は何なのか、自室で自問自答する日々が続きます。
・「本当にトラックが好きなら、そのトラックを使って人の命を生かすべき」
塞ぎこんだ日々の果てに、亡くなった方の尊い命は取り戻すことはできず、いま生かされている自分や社員、周囲のひとの命を生かすことが、経営者としての自分にできるせめてものことだと、宮田社長は思い至ります。
「本当にトラックが好きなら、そのトラックを使って人の命を生かすべきなんじゃないか。それが亡くなった男性と遺族の方々に対して自分ができることなのではないか」
「社長の仕事は社員を信じ切ること、それだけ。」宮田博文著 かんき出版(2019)kindle版
このように考えた宮田社長は、これまでの経営方法を見つめなおし、従来のひとを管理するようなマネジメントの方法論から脱却し、「ひとを信じる」ことに賭ける経営方法へと切り替えるようになります。
すると、スタッフが自主性を取り戻し、交通事故率が激減し、お互いを助け合うような社風に変わっていったといいます。 この記事では、本書で取り上げられている宮田運輸の「人を信じる」経営方法と特徴的な取り組みをご紹介します。
・「社員を管理する」経営方法には限界がある
運転士や部下への過剰な管理が、交通事故を引き起こしてしまったと考える宮田社長は、これまでの「社員を管理する」経営方法に見切りを付けるようになります。
ひとを管理するやり方に限界を感じたのは、宮田社長が若い頃のエピソードが関わっています。
当時、22歳だった宮田氏は、会社でリーダー役だったベテラン社員が突然、退職したことをきっかけに、所長のポジションに就くようになります。
まだ若く、上の立場でひとを動かした経験がなかった当時の宮田社長は、ベテラン社員たちに強引な配車をして、仕事を割り振るようになります。
社内では衝突を繰り返し、何人もの運転士が辞めていくような状況でしたが、同年代の女性運転士が辞め際に言ったことを宮田社長は覚えていました。
所長はいつも「お客様第一、お客様第一と言うけど」と切り出し、「ほんとうは従業員がいちばん大切なんじゃないですか、お客様第一を実現するには、従業員がいなければできませんよ」と泣きながら指摘してくれたのです。
「社長の仕事は社員を信じ切ること、それだけ。」宮田博文著 かんき出版(2019)kindle版より引用
・会社の役目は「誰かの役に立ちたい」という社員の思いを引き出すこと
そんなときに、阪神・淡路大震災が発生し、顧客の食品メーカー担当者から、タンクローリー車に飲料水や生活用水を詰めて被災地に救援物資を送ることを要請されます。
道路は寸断され、往復に丸一日も掛かる山越えのルートしかありません。
運転士には非常に負荷が掛かる仕事であるにも関わらず、そのベテラン運転士は、ちっとも不平不満を言わず「すぐに水を補給してくれ、今から現地に戻る」と言います。
その運転士は普段、少しでもきついスケジュールを割り振ると愚痴をこぼしていた社員だったといいます。
無理をしてでも被災地に戻ろうとする、その姿を見た宮田社長は、運転士に不満を持たせて、渋々仕事をさせていたのは自分だったと感じるようになります。
そして、運転士自身が行きたくなる、行かなくてはならない、と感じるような状況なら、彼らは使命感を持ってトラックを走らせてくれる、ということに気が付いたのです。
本来は、「誰かの役に立ちたい」という気持ちはどんな運転士のなかにもあって、それを引き出せるような環境を整えることが、経営者がやるべきことだと宮田社長は考えます。
・宮田運輸のユニークな取り組み「子どもミュージアムプロジェクト」
宮田運輸のユニークな取り組みに、「子どもミュージアムプロジェクト」というものがあります。
これは、子どもたちの描いた絵をトラックにラッピングする、というもので、実はこの取り組みは運転士や周囲のドライバーの安全意識を高めることにもつながっています。
宮田社長がこの案を思いついたのは、二つの出来事があったからだといいます。 ひとつは、大阪にある豫洲短板産業(よしゅうたんばんさんぎょう)の安全標語の話を聞いたことです。
1つ目のヒントは、ある知人とのこんな会話からもたらされました。
「社長の仕事は社員を信じ切ること、それだけ。」宮田博文著 かんき出版(2019)kindle版
「宮田さん、大阪の豫洲短板産業さんの工場の構内に安全標語があるんだ」
「工場なんだから、安全標語はあるやろね」
「それがちゃうねん。工場に勤めている従業員の子どもさんたちが書いた手書きの『ヘルメットをかぶりましょう』『一旦停止しましょう』という標語が貼ってあんねん。これを貼り出したら事故が減ったんやって」
同じ言葉であっても子どもたちが書くことで、働く人の心に届くんやなと。
二つ目は、社員の運転士がトラックのダッシュボードに娘さんが描いた絵とメッセージが貼ってあるのを見たこと。
運転士はこの絵を見ると「疲れていても、急いでいても、安全運転で行こうと思える」と話していました。
宮田社長自身も、18歳の頃からトラックに乗ってきて、仲間の運転士がダッシュボードに家族や恋人の写真を飾っていたり、子どもからのメッセージを貼っているのを普段から見てきたといいます。
はじめは、その運転士のお子さんが描いた絵を社内でポスターにして掲示しようとしましたが、交通事故は自社の環境だけがよくなっても食い止められない、と宮田社長は考えます。
そこで、子どもたちの絵をトラックにラッピングすることで、ドライバーの安全意識を高めながら、「トラックはこわい」という社会全体のイメージを変えていこうと思いついたのでした。
・子どもたちの絵がドライバーや周囲の車の安全意識を生み、事故率が減った
この取り組みは思わぬ効果を生み、子どもの絵を背負って運転している運転士はいつもよりも優しい運転を心掛けるようになったといいます。
また、後続の車が子どもたちの絵に気が付いて笑顔になることもあり、サービスエリアで「写真を撮ってもいいですか」と声を掛けられることがあると言います。
子どもたちの描いた絵をトラックにラッピングしたことで、周囲を走っている車を和ませ、無理な割り込みをされたり、車間距離を詰められることも減りました。
運転士自身も周囲から「見られている」、「関心を持たれている」という意識を持つようになり、トラックをぴかぴかに清掃して、安全運転が意識にのぼるようになりました。
その結果、宮田運輸のトラックの事故率は4割減となり、大幅に減少します。
なお、宮田運輸では車内を映す内向きのドライブレコーダーは付いておらず、すべて外向きに設置されているといいます。これも「社員を信じる」取り組みのひとつです。
トラックに子どもたちの描いた絵と、「きをつけて、かえってきてね」という言葉を添える。たったそれだけの「人を信じる」メッセージが、周囲を変え、ドライバーを守り、交通事故の防止に役立っています。
この取り組みは、口コミで他社にも広まっていき、協賛企業は全国で153社に広がりました。海外からも問い合わせがあり、中国でもプロジェクトがスタートしたといいます。
こうしたプロジェクトも、すべては社長就任時に起きた交通事故の一件からはじまっていて、世の中から悲惨な交通事故をなくしたい、という宮田社長の思いが込められています。
・まとめ 「社員を管理」することよりも「人を信じる」こと
本書は、宮田社長のこれまでの体験をまとめ上げた一冊です。そのため、一般的な経営のノウハウ本や社員へのマネジメントを説く自己啓発書とは異なる本です。
宮田社長の経営方法が他社と異なっているのは、マネジメントや社員の管理の行き過ぎが悲惨な結果を招く、と考えたところから出発している点です。
企業の効率化やマネジメントが叫ばれる時代に、宮田社長はシンプルに「人を信じる」ことを経営の軸に置くことで、一石を投じています。
本来は誰もが「誰かの役に立ちたい」という気持ちがあって、それをきちんと引き出せるようにすることが会社の役目だ、と本書のなかで述べられています。
社員にマネジメントを行おうと考えている経営者の方や、働く意味が分からなくなってしまったひとに、読んでいただきたい一冊です。
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